小国城 (おぐにじょう)
最寄地 福島県伊達市霊山町下小国須田15 2020.1.25
小国城 (おぐにじょう)
最寄地 福島県伊達市霊山町下小国須田15 2020.1.25
登城ルート
県道の小国城跡入口の標識
南郭の切岸
虎口・土塁
堀切(右に北の郭土塁)
南の郭・祠
北の郭の土塁
北端の横堀
小国城 北郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 小国川左岸の北東方向に伸びた丘陵先端の標高194mの山頂に築かれている。
南北2つの郭とそれを隔てる堀切、土塁が残っている。草や笹が多く南側尾根の堀切は見落とした。
【案内】 県道51号線の小国小学校より南西約400m付近の2本の電柱間に入口標識が建てられている[マップコード76 054 314*48](地図)。駐車スペースは少ない。
40m程北に行って右に曲がると、フエンスがあり(最近開け閉めした形跡は見られなかった)、山頂東側虎口まで幅のある山道が続いている。
南北に2つの郭があり、中間に堀切があり南郭は段差があり、中央に祠や社が祀られている。北郭(主郭)の南側に土塁が残り、北端の下段に横堀が見られる。
【歴史】 築城時期は明らかではないが、大波城主大波氏の一族大波蔵人が城主と伝えられ、その子孫は伊達政宗に属したという。
南北朝時代、正平七年(1353年)南朝の北畠顕信が多賀城から逃れ、宇津峰城へ向かう途中に経由した小手保大波城が、この小国城と比定されている。