宮本城 (みやもとじょう)
最寄地 千葉県南房総市富浦町大津320 2015.4.4
宮本城 (みやもとじょう)
最寄地 千葉県南房総市富浦町大津320 2015.4.4
登城ルート
宮本城址登り口標識
道標
虎口
主郭
主郭・城址碑
宮本城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【案内・感想】 県道185号線の道の駅「おおつの里」花倶楽部(表記番地)の南100mの交差点より東に約950m(途中より林道、細いトンネルの東)行くと、左側に集落入口があり、その先に駐車スペース(地図)がある。
集落入口より北に120m行き三叉路を右に100mほど行くと右側に「宮本城址」の標識が立てられた登り口[マップコード 211 494 321*0 ](地図)がある。
北に約500m行き、小さな標識を見て西に向かい、目印のピンクの紐を辿って大きく城山南を廻るように西へ約500m行くと城跡下に着く。
崖崩れで細くなった道を足元に注意して100mほど行くと、樹齢300年の「宮本城跡のホルトノキ」の説明板がある。
虎口を登ると、比高約80mの城山頂上の主郭は東西約50m南北約80mの広い曲輪があり、倒壊した四阿があり、「宮本城址」の石碑、説明板、歌碑が建てられている。
【歴史】 房総里見氏二代成義により延徳三年(1491年)、稲村城の支城として築かれた。
城域は城山山頂一帯を主郭とし、東へ延びた尾根と南北に派生する尾根に竪堀、土橋、堀切を組み合わせた構造となっている。特に北側方面の防御に力が注がれているのを見ると、当時の里見氏が、上総方面を意識していたことがよく分る。初代の城主は、成義の三男実堯がなった。
天文二年(1533年)に起きた里見一族の内紛で、当主の義豊が敗死すると、稲村城と共に廃城となったと伝えられているが、遺構の形式から見て、それより後年まで使用されていたと云える。
当時の文献からも、義豊を滅ぼした義堯が宮本城に居城していたことが明らかとなった。『南房総市教育委員会説明板』より。