下館城 (しもだてじょう)
所在地 茨城県筑西市甲611 2013.11.3
下館城 (しもだてじょう)
所在地 茨城県筑西市甲611 2013.11.3
説明案内板
城跡標柱・城址碑
八幡神社・城跡標柱
下館小学校北の道
下館城 本丸跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 五行川の西、筑西市立下館小学校の北の道路に面して鳥居のある「城山八幡神社」(表記番地)の境内が、下館城跡である[マップコード74 237 468*67](地図)。
城跡標柱・城址碑・説明案内板が建てられている。
「本城町児童会館」「八幡神社」一帯が本丸で、南の下館小学校が2の丸、その南が3の丸であった。下館小学校との間の道は堀跡と思われる。
【歴史】 天慶三年(940年)平将門の争乱の折、藤原秀郷により上館(久下田城)、中館(伊佐城)、下館(下館城)の三館が築かれた。
文明十年(1478年)水谷勝が築城した。以後6代続いた。7代勝隆は、備中へ移封となった。
水戸家頼房の長男頼重、増山正弥、黒田直邦と頻繁に城主が代ったが、享保十七年(1732年)河内白木陣屋より石川総茂が2万石の城主として着任してから9代137年間、下館の地を支配し明治維新を迎え、廃城となった。
石川氏9代の石川総管(ふさかね)に至り明治維新となり、下館藩は明治二年(1869年)に版籍奉還。下館城も廃城となった。石川総管の墓は伊佐城跡(観音寺境内)にある。