一関城 (いちのせきじょう) (一関要害)
最寄地 岩手県一関市釣山1-90 2016.6.5
一関城 (いちのせきじょう) (一関要害)
最寄地 岩手県一関市釣山1-90 2016.6.5
登城ルート
藩主の井戸
おさん稲荷神社
日本庭園
千畳敷・田村神社
のろし台
一関城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 国道284号線「上の橋」交差点より南に200m行った「釣山公園」となっており、遊歩道入り口がある(地図)。
駐車場は県道260号線より西に行った公園南側に用意され、ここからも遊歩道が設けられている[マップコード142 015 447*03](地図)。
北東入口より登ると、中腹に藩主の井戸が残っている。その上の段郭跡に「日本庭園」や「おさん稲荷神社」がある。
頂上の千畳敷と呼ばれる平坦地には、田村神社が祀られ、拝殿の後ろに「のろし台」が残っている。
一関要害と呼ばれるが、一国一城令後の伊達21要害には含まれず陣屋扱いとなった。
【歴史】 大同年間(806~810年)征夷大将軍坂上田村麻呂の陣地として使われた。
天喜年間(1053~58年)安倍貞任の弟磐井五郎家任の砦として使われた。
康平年間(1058~65年)源頼義義家親子の篠見山の陣地であった。
天正年間(1573~92年)葛西氏家臣・小野寺道照の居城であった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏の滅亡後、伊達氏の支配となり、一関城に伊達政宗の叔父・伊達(留守)政景が移った。
江戸時代にあって、仙台藩の内3万石が分封され、一関藩が生まれ、伊達政宗の十男伊達兵部宗勝が初代藩主となった。
寛文十一年(1671年)に起きた伊達騒動(寛文事件)で土佐に配流になり、一時仙台藩領に戻った。
その後、天和二年(1682年)岩沼から伊達家分家の田村建顕(たつあき)が一関藩主として移封され、以後明治維新に至るまで11代の歴代藩主を務めた。田村氏の居館は現在裁判所のある城内であった。釣山は田村氏の居館を見下ろす高所のため、立ち入りは制限された。