矢倉沢定山城 (やぐらさわじょうやまじょう)
所在地 神奈川県南足柄市矢倉沢 2022.8.20
矢倉沢定山城 (やぐらさわじょうやまじょう)
所在地 神奈川県南足柄市矢倉沢 2022.8.20
登城ルート
説明板
登り口
北郭・堀切・南郭斜面
西側の空堀
南郭
腰郭・南郭切岸
矢倉沢定山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 内川と狩川に挟まれた標高約444mの尾根に築かれており、北郭、南郭から構成され中間に浅い堀切がある。西側に空堀があり、南郭の南東に腰郭が見られる。
江戸時代の富士山の宝永大噴火で火山灰に覆われており、堀切は明確ではない。
【案内】 県道78号線より県道731号線「はこね金太郎ライン」に入り西に約1km行くと右側に説明板が建てられている[マップコード57 514 539*75](地図)。
この後ろの山は2段になっているが自然地形に近く、堀切が無かった。実際は薮を挟んで150m程東にあり、カーブミラー付近に登り口がある(地図)。踏み跡を登ると北郭と南郭との間の堀切に出る。
【歴史】 江戸時代に記された「新編相模国風土記稿」矢倉沢村の項には大森信濃守氏頼の城跡とあり、室町時代後期、豪族大森氏が駿河(静岡県)から相模に進出する足掛かりとして築かれたと考えられている。
相模と駿河を結ぶ足柄古道の押さえとして機能したと考えられる。