金田一城 (きんたいちじょう) (四戸城) (しのへじょう)
最寄地 岩手県二戸市金田一舘74 2014.8.14
金田一城 (きんたいちじょう) (四戸城) (しのへじょう)
最寄地 岩手県二戸市金田一舘74 2014.8.14
登城ルート
長寿寺
四戸城跡碑・牛(ベこ)石
東側
西側・墓地
金田一城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 市道に面した長寿寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード209 486 679*16]。
長寿寺本堂の東より登ってゆくと墓地があり、その東の曲輪に「四戸城跡」碑があり、牛(ベこ)石が残されている。
城跡は馬淵川左岸の段丘にあり、三戸と福岡(九戸)の中間に位置する。空堀に仕切られた上館、中館、下館からなるとされているが、廃城後、畑・空地となり遺構はほとんどない。
【歴史】 上館の切田氏は元、上北郡切田村(藤坂西方一里)の切田舘に居たが、天正の頃当地に移った。
館持支配帳には「切田舘四百石 切田小太郎」と載っている、中館は四戸中務少輔の居館としてあるが、四戸氏がいつ頃から当地に居住したかは明らかではない。
下館は金田一弾正左衛門が居住した。金田一氏も四戸氏と同族とされる。館持支配帳には「金田一右馬之介」とあり 、同一人物とされる。
天正十九年(1591年)九戸政実の乱に際し、四戸中務宗元(四戸宗泰の嫡子)は政実方に与したため、その所領が没収され、南部信直直轄の地となった。
天正二十年(1592年)「諸城破却書上」には「金田一 平城 破 信直抱 代官 木村木工」とあり、城は破却された。
館持支配帳には「木村木工は五戸館主」とあり三館の内、何れの代官となったかは、不明である。『南部諸城の研究・沼舘愛三編著』