中条氏館 (ちゅうじょうしやかた) (県の史跡)
所在地 埼玉県熊谷市上中条1160 2015.12.25
中条氏館 (ちゅうじょうしやかた) (県の史跡)
所在地 埼玉県熊谷市上中条1160 2015.12.25
沿革・標柱
南側堀跡・土塁
常光院本堂
西側空堀
中条氏館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 館跡の一部が「熊谷厄除け大師・常光院」(表記番地)敷地となっている。
南正面入口の右手に「中條氏舘跡・常光院」石碑、左手に「沿革」石碑(昭和34年建之)、「中条氏館跡」の標柱、説明板が建てられている。土塁・堀の一部が残っている。
本堂の屋根は茅葺となっている。本堂の南西側に50mほど行くと、空堀が南北に伸びている。その西は神社、墓地となっている。
境内の東側は空き地となり、駐車場(地図)が用意されている。
昭和二十六年(1951年)3月31日、1万8千坪余の内、現在の境内地3千4百余坪が、県の史跡に指定された。
【構造】 中条氏館跡は1万8千坪余の長方形で、その1/3が常光院の境内となっている。
【歴史】 平安時代末期、藤原鎌足の16代目の子孫・判官常光は、長承元年(1132年)武蔵国の国司に任じられて下向し、中条の地に館を構えて、中条氏を名乗った。
常光の子有家の長男・中条藤次家長は文武に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり我が国最初の法律である貞永式目の制定に加わった。
建久三年(1192年)二月、家長が祖父・常光の菩提を弔うため、館の一部を寺とし、常光院と名づけた。
以来25の末寺を有し、天台宗の大寺として10万石の格式で待遇された。
『沿革』、『熊谷市教育委員会説明板』より。