大胡城 (おおごじょう) (県の史跡)
最寄地 群馬県前橋市河原浜町660 2013.11.20
大胡城 (おおごじょう) (県の史跡)
最寄地 群馬県前橋市河原浜町660 2013.11.20
堀道
二の丸・空堀・右が本丸
土橋・本丸虎口
本丸・土塁
本丸跡
三の丸虎口
三の丸・石垣
大胡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道16号線と県道333号線の「大川端西詰」交差点より川沿いに北200m地点を西に行く。表記番地の西のトンネルを潜ると、二の丸の駐車場に着く[マップコード20 889 853*61]。
道路が堀道であり、土塁、空堀は良く整備されている。土橋を登り虎口の先に東西約32m、南北72mの本丸があり、北には忠霊塔、城址碑が建っている。
東側は断崖で大胡の家並みが一望できる。本丸の北には、北城(越中屋敷)・近戸曲輪がある。
二ノ丸駐車場の南の三の丸虎口に、説明版が建てられ、桝形の土塁や石垣があり、四の丸がある。
昭和四十二年(1967年)2月24日、群馬県の史跡に指定された。
【歴史】 大胡城は大胡氏の居城であった。大胡氏は藤原秀郷の子孫であり、東毛地方に勢力を持っていた豪族であった。
「吾妻鏡」の建久元年(1190年)の記事には大胡太郎の名前が見えるので、鎌倉時代の初期にはすでにこの地域の有力な支配者であったと思われる。
しかしこの頃の大胡氏の居館は、現在の大胡城ではなく、城の西300mほどの所にある養林寺の辺りであったのではないかと推定されている。
天正十八年(1590年)八月徳川家康の関東入部に伴い、家臣の牛久保城主牧野康成が封ぜられ、忠成2代の居城となった。
元和二年(1616年)牧野氏が越後長峰城へ転封されると、前橋藩の所領となり、城の上部建物は破却され、廃城となった。