真下城 (ましもじょう)
最寄地 群馬県藤岡市譲原118 2015.9.27
真下城 (ましもじょう)
最寄地 群馬県藤岡市譲原118 2015.9.27
登城ルート
入り口・標識
西郭西堀切
西郭
主郭西堀切
主郭跡・土塁
主郭東堀切
真下城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【案内・感想】 国道462号線(十国峠街道)に面した表記番地の民家西に入り口があり[マップコード150 815 590*82] 、100mほど北西に行くと神社横に、はっきりしない登り口がある(地図)。駐車スペースは少なく、離れて止める必要がある。
「真下城跡650m」の標識のある入り口より民家の間を通って神社右横より登る。少し登ると平坦地があり、放置され草木で覆われた道なき道をかき分け、沢の途切れるところを左に行き尾根伝いに登る。
左手の尾根より鞍部に出て右に少し行くと、空堀、西郭があり、深い堀切を経て、標高316m比高約150mの山頂の本丸跡に着く。
主郭は西側に土塁が残り、「真下城跡」の小看板が建てられ、東西50m南北40mほどの広さである。東に空堀、東郭跡、堀切、小郭と一段づつ下がって並んでいる。遺構は良好に残っているので、登り道の整備が待たれる。
【歴史】 築城年代ははっきりしないが、天文年間(1532~54年)頃に真下伊豆守吉行によって築かれたとされる。
真下氏は武蔵七党の一つ児玉党の一族で、室町時代から戦国時代にかけて、関東管領の山内上杉氏に仕えていた。
天文二十年(1551年)、北条氏が上杉憲政の居城・平井城攻略に際し、真下吉清は北条勢に攻められ落城し、吉清はその後、帰農したといわれている。