松虫城 (まつむしじょう)
最寄地 千葉県印西市松虫7 2015.4.6
松虫城 (まつむしじょう)
最寄地 千葉県印西市松虫7 2015.4.6
松虫寺の案内板
堀道の先を左へ
土塁
土塁
松虫城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 松虫寺(表記番地)の駐車場横に「松虫寺といにしえの田園」と題された案内板が建てられ、松虫城跡が表示されている。そこより南に約500m行くと成田スカイアクセスの北に空堀と思われる道があり、その北を強引に登ると、土塁が確認できる[マップコード533 100 839*76]。
しかし西側に虎口らしいところがあるが、放置され竹、樹木で鬱蒼として踏み込めず、全体の把握は困難である。南側に成田スカイアクセス敷設工事で、削りとられたフエンスの先にも、曲輪があったと思われる。
【縁起】 松虫寺の寺名は、聖武天皇の皇女松虫姫の重い病が、この地の薬師仏に祈願を行ったところ平癒したことを喜び、聖武天皇が天平十七年(745年)寺を建立し、姫の名をとって松虫寺と名付けられた。
【歴史】 真言宗松虫寺前の解説板には、「天正13年(1585年)二月二十八日に鵜沢信濃守敏信という名前が刻まれた鰐口(1976年6月1日指定の印旛村指定文化財)が残されている」との説明がある。
なお築城については臼井原氏と推定され、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の関東侵攻による後北条氏の滅亡と共に廃城となったものと考えられている。