飛山城 (とびやまじょう) (国の史跡)
所在地 栃木県宇都宮市竹下町380‐1 2013.11.3
飛山城 (とびやまじょう) (国の史跡)
所在地 栃木県宇都宮市竹下町380‐1 2013.11.3
入口・橋・土塁
空堀・土塁
桝形虎口
東側土塁
空堀・土塁
本丸跡・掘立柱建物
古代竪穴建物
飛山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道408号線より西へ400mほど行った「とびやま歴史体験館」(表記番地)に駐車場が用意されている[マップコード39 491 287*65]。その西に、「飛山城史跡公園」として整備保存されている。
飛山城は、鬼怒川の東岸を利用して造られた東西240m、南北420mの長方形の縄張りに築造された平山城で、現在残されている遺構は約14ヘクタールと広大な領域に広がり、北側と西側を鬼怒川およびその支流に沿った断崖(比高差25m)、東側と南側を二重の土塁と堀で囲う、堅固な造りとなっている。また内側空堀も幅15m、深さ4mもある大掛かりな遺構を保持している。北西部に主郭があり空堀によって5つの曲輪に分けられている。
歴史体験館の駐車場より、外堀に架かる木橋を渡ると、大土塁及び桝形があり復元門がある。二の丸には古代竪穴住居、中世竪穴住居が建てられている。北側に向い内堀の土橋を渡ると主郭である。主郭には、掘立柱建物4棟が建てられ、また堀、土塁の保存状態は良好である。西側は崖であり鬼怒川の流れが一望できる。
昭和五十二年(1977年)3月8日、国の史跡に指定され、平成二年(1990年)4月3日追加指定された。
【歴史】 永仁年間(1293~99年)芳賀高俊が主家の宇都宮に近い当地に築城した。飛山城に居城すると姓を先祖の清原姓に戻した。
芳賀氏(清原氏)は上野国・越後国の守護代に任じられるなど隆盛したが、戦国時代になると飛山城の芳賀氏(清原氏)も関東平野の覇権争いに例外なく巻き込まれた。
弘治三年(1557年)には宇都宮氏や芳賀氏を支援した常陸国の佐竹義昭による宇都宮城奪回作戦(その時期の宇都宮城は壬生城主・壬生綱雄が占領していた)の最前線基地となっている。
天正十八年(1590年)、関東に台頭していた後北条氏を滅亡させた豊臣秀吉は宇都宮城に入城し関東の支配体制を決定する宇都宮仕置を行った。そこで秀吉は宇都宮氏18万5千石の所領安堵を裁決した一方で、「佐竹・宇都宮ならびに家来のものども、多賀谷・水谷」に対して「いらざる城は破却せよ」との命令を発している。
そのため、飛山城も「城破り」の対象として破却され廃城となった。宇都宮広綱の子・高武は宇都宮一族として兄・国綱を支え活躍し、豊臣秀吉の奥州仕置では六万石を領した。
しかし慶長二年(1597年)、芳賀氏11代高武は兄・国綱の養子のことで内乱を引き起こしたとされ、宇都宮氏・芳賀氏は改易され、後に返り咲くことはなかった。