長浜氏館 (ながはましやかた) (浮浜城)
最寄地 埼玉県児玉郡上里町長浜1479−5 2025.12.27
長浜氏館 (ながはましやかた) (浮浜城)
最寄地 埼玉県児玉郡上里町長浜1479−5 2025.12.27
長浜氏居館跡の石碑
由来
北西側
北西側の低い土塁
長浜氏館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 館跡の範囲ははっきりしないが、約100m四方の方形と思われ、北西に低い土塁が見られ、水路は堀跡と思われる。
【案内】 上里町長浜の表記番地前に立派な「長浜氏居館跡」の石碑が建てられている(裏面に由来文)[マップコード20 253 853*82]。
【歴史】 この地、大字長浜字城は、鎌倉時代より武威を振るった丹党の名族・長浜氏の館跡と伝えられ、浮浜城とも呼ばれている。
長浜氏は新里恒房の子・三郎信光を祖とし、地名に因んで長浜氏を称した。
『太平記』によれば、一族の長浜六郎左衛門光経(顕寛)は、南朝の新田義貞に仕え、最高軍事指揮官である侍所としての重責を担い鎌倉攻略をはじめ全国各地を転戦し、建武四年(1337年)新田義顕と共に越前金ヶ崎城で討ち死にした。『石碑文』より。