日和田館 (ひわだたて)
最寄地 福島県郡山市日和田町朝日坦18−16 2020.4.19
日和田館 (ひわだたて)
最寄地 福島県郡山市日和田町朝日坦18−16 2020.4.19
登城ルート
安積左衛門の墓
北西道路の堀跡
空堀(振り返る)
南側空堀
東側切岸
日和田館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 郡山市日和田町舘の丘陵にあり、北側のクランクした道路が堀跡と思われる。南東に館跡があり、西辺に空堀があり、南郭と隔てる空堀が東西に伸びている。
【案内】 県道115号線の北側を通る細い市道に「館集会所」(表記番地)があり、その西に「安積左衛門の墓」があり(地図) 、その付近に駐車できる[マップコード129 091 554*75]。
そこより南東へ140m程歩くと、道がクランクした先に館跡がある。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州平泉征伐に戦功のあった工藤祐経は安積郡の地を与えられ、次男祐長を下向支配させ安積伊東氏の祖となった。安積伊東氏は代々左衛門を名乗っていたようである。
築城の時期ははっきりしないが、戦国時代に安積郡付近を治めていた安積伊東氏が、西方約900mの平地にあった日和田古館より、守備に適した丘陵地に移すために築城したと考えられる。
天正十年(1582年)、畠山義国が当時は田村氏支配下の高倉城をめぐって田村氏と争い、敗れた田村方についていた城主の安積左衛門が畠山氏傘下に入ったという記録が江戸時代中期の歴史書『奥陽仙道表鑑』に残る。
その後の天正十八年(1590年)、この地が蒲生氏支配下に入ると安積左衛門は浪人となったと伝えられる。