大森城 (おおもりじょう) (岩淵城)
最寄地 秋田県横手市大森町高口下水戸堤1 2016.8.5
大森城 (おおもりじょう) (岩淵城)
最寄地 秋田県横手市大森町高口下水戸堤1 2016.8.5
登城ルート
参道にある説明板
本丸と二の丸の分岐道
腰郭・大森神社
本丸・大森神社
本丸
本丸南側の二の丸付近
二の丸
大森城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 大森神社(表記番地)の南西側鳥居前に駐車スペースがある[マップコード 138 337 304*48 ]。
参道の石段を登ると途中に平場があり、配水施設があり、二の丸との分岐に至る。
更に登ると、腰郭があり最高所に本丸がある。本丸は広大で、北側に大森神社が建てられている。芝生公園となり南東に土塁跡の高まりがある。
二の丸は南に100mほど行った先端部にあり、売店がある(地図)。
【歴史】 大森城は天然の要害として名高く、文明年間(1469~87年)小野寺道高によって築城された。岩淵城ともいう。
その後、約100年余の時を経て横手城主小野寺義道の弟孫五郎康道が大森城主として自ら「大森五郎康道」と名乗り勢力を拡大した。
慶長五年(1600年)十月、大森城は最上、秋田、由利の連合軍一万余に包囲された。康道はすかさず城下の東南北4、5里の建物を残らず焼き払い、僅か800余人で籠城応戦した。その後次第に戦意を失って、和議を持ち掛け大森城攻防戦は終結した。『大森町郷土研究会』説明板より。
その後、康道は津和野へ流罪となった。大森城も一国一城令により元和六年(1620年)廃城となった。