鷹留城 (たかとめじょう)
所在地 群馬県高崎市下室田 2018.1.3 2021.1.28
鷹留城 (たかとめじょう)
所在地 群馬県高崎市下室田 2018.1.3 2021.1.28
登城ルート(水色は土橋/緑は東の郭)
土橋・空堀
北側二番目の堀切
東の郭
南西の堀切
主郭
主郭・鷹留城死没者慰霊碑・ 城跡碑・説明板
長野氏累代の墓(中央が業尚)
鷹留城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高10m(登り口より)】
【感想】 榛名山より南に伸びる標高345.3mの尾根にあり、箕輪城の西方約5.5kmに位置している。
搦手の空堀、土橋や北側の2条の堀切、畝状竪堀、南西の深い堀切、横堀などよく残っている。
【案内】 県道154号線より北に行くと、走りやすい農免道がありその南に駐車スペースがある[マップコード94 512 191*66](地図)。
左に下らず、右のガードレールに沿って農道と平行に進んでゆくと、空堀・土橋に出る。道は二股に分かれるが、どちらを通っても主郭に着くが、右に行った方が土橋が見られ良い。
主郭を中心に東に腰郭東西約300m南北約430mの広い面積を有している並郭式の山城である。
昭和五十七年(1982年)4月1日、高崎市の史跡に指定された。
南麓の長年寺(高崎市下室田町1451)が菩提寺で、長野氏累代の墓がある。
【歴史】 明応年間(1492~1501年)、当地を支配した長野業尚(なりひさ・尚業とも)によって築かれた。
永正九年(1512年)長野尚業の子・憲業(のりなり)が箕輪城を築き移るまで、長野氏の本拠であった。その後も有力な支城として機能し、業氏が城主となった。
永禄九年(1566年)業氏の子長野業通(なりみち)が城主の時、武田信玄に攻められ、箕輪城と共に落城した。