戸倉城 (とくらじょう) (一宮城)
最寄地 東京都あきる野市戸倉328 2013.12.3
戸倉城 (とくらじょう) (一宮城)
最寄地 東京都あきる野市戸倉328 2013.12.3
登城ルート
光厳寺
主郭
主郭石垣
西側堀切
戸倉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【案内・感想】 光厳寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード23 489 620*46]。光厳寺境内の南に「盆堀城山入口」(地図)があり、標識に従い下って登るりと、城山南東尾根筋に出る。北西に尾根道を行く。
8合目より非常に急な岩場を登ると、標高434m比高約190mの頂上の主郭跡に着く。由来と想像図の看板が建てられ、「城山」の標柱がある。西に建物跡の石垣が良く残っている。五日市、八王子の市街が眼下に望めて清々しい。頂上で親子と思われる二人連れと逢う。二人は北東の西戸倉の方から登ってきたらしい。西方に尾根を約250m行くと出丸がある。
北東に位置する神明神社鳥居横に登り口があり、説明板が建てられている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、戦国時代、上杉氏の庶流で、武州一揆の主要構成員であった小宮氏により築城されたと伝わる。
この地の侍と考えられる宮本氏や網野氏が構成員となった南一揆衆の活躍時期に使用された。
天文十五年(1546年)、北条氏から養子(北条氏照)を迎え家督を譲った大石定久が、戸倉城に移り隠居したと伝わる。
その後の戸倉城に関しては詳らかではないが、八王子城の支城として小田原征伐まで維持され、同戦役後、廃止されたものと考えられている。