岡部陣屋 (おかべじんや)
最寄地 埼玉県深谷市岡部1198 2015.2.4
岡部陣屋 (おかべじんや)
最寄地 埼玉県深谷市岡部1198 2015.2.4
説明板
幽囚の碑
移築長屋門
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道17号線「岡部」交差点より南西に約200m行き、畑の道を南に約80m行くと、陣屋跡の一角に「秋帆先生幽囚之地」の石碑、説明板が建てられている[マップコード34 090 766*12](地図)。
陣屋は土塁と空堀を巡らせていたと言われるが、今は深谷葱の畑となり、跡形もない。全昌寺(深谷市岡3313)に二層長屋門が移築されている。
【歴史】 元今川氏家臣で後に徳川家康に仕えた安部信勝が5千2百石を領し、その子信盛の代に加増をうけ、慶安二年(1649年)に1万石を加増され諸侯に列した。
信之の代に2万2百石、信友の代に2万2千2百石となった。陣屋は宝永二年(1705年)信友の子信峯により築かれた。
幕末、弘化三年(1846年)より砲術家の高島秋帆の身柄を預かり、嘉永六年(1853年)、秋帆は許され幕府に仕え、砲術方教授となった。
陣屋は、明治維新まで安倍氏の居館として用いられたが、慶応四年(1868年)、藩主信発が明治新政府側に自ら願い出て三河国半原藩(愛知県新城市)へ移転したため、岡部陣屋は廃止された。