御前原城 (ごぜんぱらじょう)
所在地 栃木県矢板市早川町 2015.1.17 2017.4.26
御前原城 (ごぜんぱらじょう)
所在地 栃木県矢板市早川町 2015.1.17 2017.4.26
全体見取図
入口・城跡碑
東側空堀・土塁
西側空堀・土塁
本丸東部
麻疹地蔵尊
御前原城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道4号線「早川町」交差点より西に、シャープ(株)工場の間の道を約200m行くと、「御前原城跡」の石碑が土塁上に建てられ、細い入り口を入ると、駐車場がある[マップコード121 128 321*32]。
約170m四方の曲輪に土塁と空堀が良好に残っており、中央に石像「麻疹(はしか)地蔵尊」を祀る社が建てられている。
地名はシャープ(株)の前身「早川電機工業」に因んで早川町となった。
【歴史】 治承・寿永年間(1177~84年。間に養和の年号あり)に塩谷頼純により築城されたとする説と、正和四年(1315年)に塩谷頼安により築かれたとする説がある。
『日本城郭大系』によると、塩谷頼純説が地元伝承、塩谷頼安説が『塩谷記録』の説だという。また『日本城郭大系』は両説とも伝説の域を出ないとしている。ただし、前者の説の場合、治承寿永年間には、すでに塩谷頼純は没しており、この点において正和四年築城説が有力と考えられており、さらに発掘調査でも、御前原城の築城年代は1400年初め頃と推測されており、より年代の近い正和四年説が有力となっている。
また、御前原城には、元々塩谷郡衙があったとする説があるが、塩谷氏が塩谷郡の支配地として当地を選び、御前原城を居城の一つとして扱ったことは、これを裏付けている。
天正十八年(1590年)の小田原の役をきっかけに、塩谷氏の家臣岡本正親が独立を果たすと、その姉の子であり、正親の娘婿でもある塩谷義通も中村と木幡合わせて約千石の所領を以って独立し、義通は、御前原城を居城とした。
慶長三年(1598年)に義通が没すると、嫡男義保が叔父であり義父でもある正親の岡本家を継いでいたため、次男の岡本保真が、塩谷惣十郎を名乗り家督を継ぎ、御前原城の城主となった。
しかし、正保元年(1644年)三月十日、泉騒動が勃発し、これにおいて保真(惣十郎)が殺害され、跡継ぎがなく断絶し、御前原城は廃城となった。