湯崎住吉城 (ゆざきすみよしじょう) (湯崎城)
所在地 茨城県笠間市湯崎 2016.2.27
湯崎住吉城 (ゆざきすみよしじょう) (湯崎城)
所在地 茨城県笠間市湯崎 2016.2.27
本郭
本郭跡碑
土橋・土塁
南側空堀
神社・空堀
惣堀
湯崎住吉城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道16号線に面した本覺寺北東の交差点に、「湯崎城本郭跡200m」の道標があり、南に200m行った左手に墓地がある[マップコード112 804 184*61]。
墓地、および裏の材木を立てかけた平坦地が本郭で、東端の藪の中に、城址碑がある。その東は2重空堀があり、南に土橋・土塁がある。空堀は神社南の道路際まで延びている。土橋の南に2郭がある。
南へ道路を下ると、惣堀の一部と思われる細長い池がある。
【歴史】 この城は、北朝時代の康永三年(興国五年1344年)、宍戸朝里によって、宍戸城を守る東南方面の備えとして築かれたといわれている。
文明十三年(1481年)、小田・笠間・宍戸氏らの連合軍と水戸の江戸氏が、小鶴原(茨城町)で戦った。その合戦で、湯崎城が連合軍の前線基地になった。
天正十九年(1591年)、佐竹氏の常陸統一、慶長七年(1602年)佐竹氏の秋田転封によって廃城になった。
東西300m南北200mの城跡は、現在は大部分が栗畑で、西虎口(出入口)近くは牛舎になっているが、本郭跡とみられる北側には土塁や空堀、曲輪(くるわ)、櫓台(ろだい)、惣堀(そうぼり)など中世城館の跡をよくとどめている。『笠間市ホームページ>観光>学ぶ>市指定文化財』より。