高楯城 (たかだてじょう) (高館城・飯詰城)
最寄地 青森県五所川原市飯詰福泉29 2016.6.7
高楯城 (たかだてじょう) (高館城・飯詰城)
最寄地 青森県五所川原市飯詰福泉29 2016.6.7
登城ルート(緑線は車道)
入口・城址標柱
西郭・資料館(休館)
主郭・鳥居
主郭・城址碑
城址碑
高楯城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 妙竜寺入口に城址碑が建てられ、南に150mほど行くと、妙竜寺(表記番地)に駐車場が用意されている。
妙竜寺の前を通って東に行くと、西郭に「高楯城資料館(休館)」があり、東に行くと空堀がある[マップコード71 854 709*13]。
その東に二段になった主郭があり、中間に鳥居がある。主郭の東端に忠魂碑や、「高楯城址」(裏面に由来文)の石碑が建てられている。その下段に東郭がある。
【歴史】 康永三年(興国五年・1344年)、万里小路藤房の息子朝日景房が築城したとされる(飯詰村史)。
その後、朝日氏は浪岡氏に仕えた。天正十六年(1588年)、津軽統一をもくろむ大浦為信の攻撃により、落城し、万里小路藤房より十代目の城主朝日行安は自害し、飯詰城は廃城となった。
この城には、落城の際の白米伝説や糠塚川に鎧を捨て、逃亡を企てたが、力尽き、主従は自害したという逸話が残っている。なお、「鎧留」の地名はその話に由来するという。また、落城の際に大浦方の道案内をした人物として、対馬右衛門太郎の名を挙げ、尻無方面(五所川原市)から攻め入ったという(方々由緒書)。また、阿部孫三郎信友の名をあげる資料もある(金木郷土史)。