鎌田館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 西側から南西にかけて高さ約3mの土塁が長さ160mほど残っている。
南西土塁下には、寛延二年(1749年)の東北地方を襲った冷害で、百姓一揆の発起人の一人で鎮圧後斬首にされた猪狩源七の墓がある。
【案内】 国道4号線「鎌田」交差点より西へ約400m行くと、鎌秀院(表記番地)があり、西側の耳取川に沿って土塁が残っている。山門前に「鎌田舘跡」の石碑が建てられている。
【歴史】 今から730年前、大和国から宇野中務少輔信治が鎌田庄に移り鎌田氏を称し、築城されたと思われる。その後の鎌田氏の動向については詳らかではない。
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