二条城 (にじょうじょう)
所在地 栃木県栃木市西方町 2018.1.7
二条城 (にじょうじょう)
所在地 栃木県栃木市西方町 2018.1.7
登城ルート(緑は南西の郭)
東北自動車道の栃木41トンネル
虎口・標識
東下段の郭
主郭南側切岸
主郭南東側土塁・石積
薮状態の主郭
南西側の2重空堀・奥が主郭
二条城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 長徳寺の南の標高143mの尾根先端部に築かれている。主郭の土塁や東側の直線状空堀・土塁、南西側の2重空堀など遺構は思った以上に残っていた。ただ如何せん放置され、篠竹が密生しており踏み込むのも憚れる状態であった。
【案内】 県道177号線より西に行き、東北自動車道の西方城へのトンネルの一つ南のトンネル(栃木41)を目指す。トンネルへ向かう手前の倉庫のような建物横に駐車させてもらった[マップコード722 192 055*56]。
その先の道は細く徒歩が良い。トンネルには獣除けフエンスがあり、西にクランクしてゆくと、入口に開山不動尊由来碑が建てられている。
中腹の開山不動尊手前の「塩竈神社・相馬神社」脇に虎口があり、登って右に行くと、東下段の郭があり、更に登ると東から南側にかけて郭があり、主郭東側に土塁、空堀が残っている。
南より南西側に行くと真ん中に土塁を挟んだ2重空堀があり、その南西に郭があり空堀で隔ててゴルフ場がある。
主郭は、土塁が北を除く三方に巡らされ、一部石積も見られるが、平坦部は篠竹が密生し踏み込む余地はなかった。
【歴史】 築城年代は定かではないが、西方城の支城として築かれたと云われる。別説に、先に二条城が築城され、後に西方城が築かれたとも云われる。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、花園城主藤田康邦の子・藤田能登守信吉が徳川家康から1万5千石の所領を与えられ西方に陣屋を構えた。これが二条城の場所であると伝えられが、陣屋というより城といったの方が適当である。
藤田信吉は元和二年(1616年)大坂夏の陣の後、改易となり廃城となった。