真坂館 (まさかだて) (鹿島館・真坂城) (市の史跡)
所在地 宮城県栗原市一迫真坂館浦59 2019.10.1 10.16
真坂館 (まさかだて) (鹿島館・真坂城) (市の史跡)
所在地 宮城県栗原市一迫真坂館浦59 2019.10.1 10.16
登城ルート
龍雲寺
東側の 腰郭
東郭
堀切・中郭切岸
西郭虎口・土塁(奥に土橋堀切)
西郭・鹿島神社の石塔(右端)
真坂館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 一迫(いちはさま)川左岸の標高98mの山頂に東郭が築かれており、西に堀切、中郭、堀切、西郭と配置されている。東約1kmに姫松館がある。
東郭には「政岡の墓」があり、東下段の郭などがあり、西側には堀切がよく残っている。
享保三年(1718年)仙台藩一門白河村親が小坪館より真坂館に移った時、勧請したと云われる鹿島神社(石塔)が、西郭に祀られている。
西郭からは一迫川や、栗原市一迫の集落が眼下に望める。
【案内】 龍雲寺(表記番地)山門横に駐車出来、「真坂館跡」の標柱が建てられている[マップコード141 879 413*10]。
階段を登った本殿左より北に行くと、中腹に「富塚重信夫妻と兄信定の墓」がある。東端の堀道から西に登ると、東下段の郭があり、最高所に東郭があり「白河志摩義実と夫人(政岡の局)の墓」が安置されている。
西に堀切・土橋があり中郭がある。中郭は藪化しており、掻き分けて進むと堀切・土橋があり、小さな土塁のある西郭に着く。西郭には鹿島神社の石塔や照明塔がある。
栗原市の指定史跡となっている。
【歴史】 伊豆の豪族・狩野親光の子狩野行光が、文治五年(1189年)源頼朝の奥州征伐に参陣して戦功を挙げ、一迫一帯を賜った。
築城時期は不明だが、大崎氏の家臣狩野氏(真坂氏、後に一迫(いちはさま)氏)の居城と伝えられる。
天正十九年(1591年)伊達政宗の所領となると重臣冨塚近江宗綱が真坂館に入った。
享保三年(1718年)冨塚長門重標(しげたか)の時、所領を没収された。
代わって、真坂館には白河結城氏の流れを汲む白河義親の3世・義実が小坪館より移り、葦名氏の子孫「政岡の局」と結婚し、一女二男をもうけた。
その後、白川家は脈々と続き、明治維新を迎えた。