真壁城 (まかべじょう)
最寄地 群馬県渋川市北橘町真壁甲2212 2018.1.20
真壁城 (まかべじょう)
最寄地 群馬県渋川市北橘町真壁甲2212 2018.1.20
入口標識
ゲートボール場・説明板
説明板
南側切岸
南より城跡を望む
桂昌寺北西の空堀
真壁城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 利根川左岸の丘陵に築かれ、白井城の南南東約4.6km、八崎城の南南東約2km、箱田城の北北西約800mに位置している。
丘陵の頂上部にあり、ゲートボール場とその北の台地一帯が城跡で、東西約50m南北約70mの単郭式の城であったという。ゲートボール場、その北の竹藪、周辺の畑地となり、目立った遺構は少ない。
【案内】 国道291号線「坂東橋東」交差点より県道159号線に入り、北へ約600m行った交差点を左折、県道156号線より南に行った入口に案内標識が建てられている[マップコード94 769 836*28](地図)。
南側の桂昌寺(表記番地)は居館跡と云われ、土塁・空堀が残っている。
【歴史】 白井城の支城として築かれ、長く越後上杉氏の配下にあり、白井長尾氏の四天王に次ぐ重臣・神谷三河守が居城した。
天正十年(1582年)三河守は桂昌寺を現在地に再興し、神谷氏の居館とも云われる。
その後武田氏、北条氏に属し、天正十八年(1590年)に白井城落城とともに落城、廃城となった。『渋川市教育委員会説明板』より。