宮崎館
最寄地 福島県大沼郡金山町中川上居平949―8 2016.10.7
宮崎館
最寄地 福島県大沼郡金山町中川上居平949―8 2016.10.7
説明板
主郭
土塁・祠
主郭・土塁
空堀・2郭(左)
宮崎館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道252号線の「道の駅かねやま」(表記番地)の南に宮崎館の駐車場が用意されている[マップコード97 637 016*12]。
只見川の上田ダム湖の河畔に築かれ、三方は崖となっている。ダムがない時代は相当の高さがあったものと思われる。主郭には祠が2基祀られている。その東、陸続きには土塁、空堀が設けられている。その北が2郭で細長く意外に狭い。
金山町の重要文化財に指定され、公園となり眺望が良い。
【歴史】 この宮崎館は「館の越」といわれ、天正年間まで宮崎右近が30貫(60石)を領した地に築かれたものである。
天文十三年(1544年)横田中丸城主山内俊清は領主を長子舜通(きよみち)に譲り、末子俊甫(としもと)と共に川口に移り住み玉縄城を築いた。
宮崎右近はその一族で、最初は玉縄城と峰続きの雀ヶ城を守備していたが、6年後の天文十九年(1550年)館を築き、この地に移ったという。
宮崎右近は天正十七年(1589年)伊達政宗の会津侵攻には、本家川口氏と共に伊達氏に内応して先陣を務め、本名合戦の主将となって戦い、戦後は伊達氏に従って米沢へ去っていった。