岡本城 (おかもとじょう) (国の史跡)
最寄地 千葉県南房総市富浦町豊岡75 2015.4.3
岡本城 (おかもとじょう) (国の史跡)
最寄地 千葉県南房総市富浦町豊岡75 2015.4.3
登城ルート(緑線は車道)
登り口
南平坦地(枇杷畑)
主郭
北東下段の平坦地
城址碑
物見台
岡本城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 国道127号線「逢島」トンネルを抜け、南約150mの交差点に「里見公園」の標識がある[マップコード211 460 494*55]。
大きく左折すると、「果樹団地育成事業集選果場」(駐車スペースはこの辺のみ)があり、その先の旧道トンネル手前(南側)の右に登り口があり「里見公園(岡本城址)」の矢印標識がある(地図)。
階段を登りしばらく登ると分岐になり右に行くと平坦地の枇杷畑がある。分岐を左に登ると、比高約30mの主郭に至り説明板が建てられている。
西に(トンネル上部)行くと「岡本城址(下段に由来文)」の石碑が建てられ、横に祠が2つある。その西に登ると物見台があり、大房岬半島に囲まれた一湾の渚が望め、原岡海岸、富浦町の町並が眼下に望める。
平成二十四年(2012年)1月24日、「里見氏城跡」として稲村城跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 戦国大名里見義弘が、小田原の後北条氏に対する海防の要地にするため、時の城主であった岡本随縁斎から譲り受けて修築し、元亀三年(1572年)に完成させた城である。
義弘は城主として、子の義頼を居住させた。城の山腹は全て削り上げて絶壁にし、郭や堀切が作られている。山腹の要害と呼ばれる所は城主の館の後で、東方の聖山は、天正七年(1579年)に起きた里見一族の内紛の時、義頼の弟淳泰が幽閉された所である。
聖山の北東山頂付近には、岩盤を掘り込んだ水堀・桝ヶ池があり、どんな干天にも涸れる事がなかったという。『南房総市教育委員会説明板』より。