高城城 (たかぎじょう) (赤尾津城)
所在地 秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4 2016.8.6
高城城 (たかぎじょう) (赤尾津城)
所在地 秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4 2016.8.6
登城ルート(緑線は車道)
本丸跡・駐車場
句碑・高城本丸碑
本丸展望台
二の丸跡
三の丸跡・資料館
亀田陣屋の石垣・模擬櫓門
佐藤八十八美術館
高城城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「(株)岩城天鷺ワイン城」(由利本荘市岩城下蛇田高城2−1)の東のT字路を右折して350m行くと本丸標識があり[マップコード 494 281 192*73 ]、左折して少し行くと駐車場が用意されている。
本丸跡には句碑と「高城本丸」の石碑(裏面に由来文)、展望台が建てられている。句碑には、赤尾津時代にこの地を訪れた連歌師・山本宗佐の句「陰高し霞の上に嶺の松」が刻まれている。
北に下った台地が2の丸、更に下った資料館(休館)一帯が三の丸である。
亀田陣屋跡は現在、亀田小学校跡地(2014年閉校:地図)となっている。陣屋の東に「亀田城」として石垣、堀が造られ、模擬櫓門、佐藤八十八美術館などが建てられている。
又、亀田小学校跡と道路を挟んで北側に「天鷺城」(地図: 岩城亀田亀田町亀田町92−2)の観光用天守が建てられ、土産物売店などがある。北隣には「市立歴史民俗資料館」があり、有料で見学できる。
【歴史】 高城山は、800年頃天鷺山と呼ばれ、豪族天鷺速男が居館を構え、付近一帯を天鷺郷と称し支配していたが、坂上田村麻呂に亡ぼされたと伝えられている。
中世に入り本町から松ヶ崎及び大内町の一部の地域が赤宇曽郷と呼ばれたが、由利十二頭時代は赤尾津氏が高城山に居館を築き、近郷を支配していた。
関ケ原合戦後、由利本荘地域は最上義光の領有となり、家臣の湯沢豊前守満茂が慶長八年(1603年)に赤尾津(亀田)の地に入り、高城山を居城と定め、赤尾津満茂と名乗り、由利本荘地域の殆どを支配したが、慶長十五年(1610年)に居城を本荘市に移し本荘満茂と改名して統治を続けた。
元和九年(1623年)岩城吉隆(佐竹義隆)が亀田藩主となって入部し、高城山麓に陣屋を構築した。以後、岩城氏が亀田藩主として続き12代隆彰の時明治維新を迎えた。