大戸城 (おおどじょう)
所在地 千葉県君津市大戸見 2015.4.4
大戸城 (おおどじょう)
所在地 千葉県君津市大戸見 2015.4.4
登城ルート
南の曲輪・祠
南の曲輪・二基の祠
南の曲輪背後の堀切
腰曲輪
北端の主郭
【案内・感想】 国道410号線(久留里街道)を亀山湖に向かって、3つの連続して続く短い3つ目のトンネルを抜けて200m東の交差点より南に約370m行った地点に登り口がある[マップコード 309 878 447*67 ](地図)。
登って北に行き右の道を登ると曲輪があり祠が祀られている。堀切があり急な斜面を登ると祠が2つ祀られている。
一旦戻って西側の堀道を北に進むと腰曲輪・主郭がある。主郭北側は久留里線や国道敷設で削られていると思われる。 要所要所から小櫃川の蛇行が望める。
【歴史】 築城時期は不明であり、伝承では里見義実の築城とされている。
史実では同氏の天文二年(1533年)に起きた里見氏内紛の際に安房国を追われた当主・里見義豊が、上総国の有力領主である真里谷信清(武田恕鑑)から滞在先としてこの城を提供され、反攻の拠点にしている事から、真里谷氏を含めた上総武田氏あるいはその以前の領主によるものと考えるのが近年の考え方である。
天正十八年(1590年)小田原征伐の後、里見氏は豊臣秀吉によって上総を召し上げられた為、廃城となった。