馴馬城 (なれうまじょう) (馴馬沼田城) (県の史跡)
所在地 茨城県龍ケ崎市馴馬町2488 2014.1.8
馴馬城 (なれうまじょう) (馴馬沼田城) (県の史跡)
所在地 茨城県龍ケ崎市馴馬町2488 2014.1.8
説明案内板
歴史民俗資料館
曲輪Ⅰ・曲輪Ⅱ間の空堀
曲輪Ⅱ
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道48号線の交差点「文化会館入口」の西に「歴史民俗資料館」(表記番地)が建ち、その西に城跡説明板が建てられている[マップコード65 276 554*82]。
駐車場の低地の南西の台地が馴馬城跡で、階段を登ると土橋、空堀があり、その南に樹木の多い主郭、民家の敷地の曲輪Ⅱ (地図)と並んでいる。曲輪Ⅰ・曲輪Ⅱ の間に空堀がある。
昭和十四年(1939年)4月5日、県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代初め常陸国河内郡の南朝拠点として築城されたが、歴代の城主は不明である。
暦応4年/興国2年(1341年)「河内郡馴馬楯引退」と古文書に記されていて、北朝である足利氏から攻められている。
三年後にも近隣の南朝方の小田氏、東条氏は高師冬(こうのもろふゆ)の攻撃で北朝方に制圧された。
その動向を危惧した南朝方の春日顕国(あきくに)は各地に潜伏して北朝の攻撃から逃れた後、馴馬城を占拠して籠城したが、笠間宍戸荘の宍戸朝里勢に攻められ落城した。