二桜城 (にろうじょう) (二桜館・清水城・舞鶴城) (市の史跡)
所在地 岩手県一関市花泉町花泉上舘70−3 2019.10.1
二桜城 (にろうじょう) (二桜館・清水城・舞鶴城) (市の史跡)
所在地 岩手県一関市花泉町花泉上舘70−3 2019.10.1
登城ルート(緑線は車道)
城跡標柱・説明板
説明板
中段・主郭切岸
北の郭・湧水
主郭・土塁
八幡宮
西尾根の堀切
二桜城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 一関市花泉町花泉上舘の西から東に伸びた丘陵先端部に築かれている。
八幡宮の建つ主郭の西から南側に土塁が残り、背後に深い堀切が見られる。また、東に階段状の郭があり、「寿光荘」もその曲輪に建てられていると思われる。
【案内】 県道48号線より北側に少し行った「寿光荘」に駐車できる[マップコード199 634 471*23]。
八幡宮一の鳥居横に「二桜城」の標柱、説明板が建てられている。
そこより西に石段を登ると清水公園となっており、八幡宮が建てられ、西側から南側にかけて土塁が残っている。土塁の西側に深い堀切がよく残っている。北下段に町名発祥の由来となった湧水がある。
昭和五十一年(1976年)3月13日、花泉町(現一関市)の史跡に指定された。
【歴史】 征夷大将軍坂上田村麻呂の蝦夷征伐以来の要塞として知られる。
文治年間(1185~90年)には、奥州藤原氏の家臣照井太郎高春が居住したと云われる。
延慶二年(1309年)より280年間は、葛西氏の一族・葛西式部大輔清秀(清水氏に改名)一族の居城となった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きにより葛西氏が滅亡すると同時に、清水氏も城を去った。
その後、文禄・慶長年中は伊達政宗の一族留守政景の居城として使われた。