仁田山城 (にたやまじょう)
最寄地 群馬県桐生市川内町5丁目2197 2022.12.29
仁田山城 (にたやまじょう)
最寄地 群馬県桐生市川内町5丁目2197 2022.12.29
登城ルート(緑線は車道)
登り口
3合目の鳥居
東上段の郭・祠
主郭
主郭2郭間の堀切(奥が2郭)
2郭3郭間の堀切(奥が3郭)
3郭
3郭西の堀切 ・尾根
仁田山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高260m】
【感想】 桐生市川内町の標高約503mの石尊山に築かれている。
南北に細長い3つの郭とその間の3条の堀切は明瞭で見応えがある。
また主郭南下段に祠や鐘のある2段の郭が見られる。
比高も高くほぼ直線的な尾根を登って行ったが、落ち葉が多く滑りやすい。杖は必携だ。
【案内】 県道338号線「駒形大間々線」に「←仁田山城跡・石尊山」の標識があり、70m西の民家(表記番地)横に登り口がある[マップコード261 144 818*24](地図)。駐車スペースは少ないが、工場先の道路南側に駐車した。
登り口より50mほど行くと、分岐があるが左折し少し登ると「登り口」の標識がある。右に行って2度折り返し山道を登ると鉄製の鳥居があり、そこから急な落ち葉の多い尾根になり、滑らないように杖を使って登る。
鐘のある段に着きそこに不動明王が祀られ、上段に2基の祠があり、奥に石尊神社が祀られている。
主郭は南北に細長く、本丸標柱が建てられている。その北に堀切、2郭、堀切、傾斜した3郭と並び、尾根に深い堀切が残っている。
【歴史】 南北朝時代、この地を領した山田氏によって築かれたといわれる。観応二年(1351年)山田筑後守則之がこの城で、桐生城主桐生国綱に攻め滅ぼされたと伝えられている。
室町時代中期になると、足利義政から仁田山郷を与えられた二階堂氏の家臣・里見家連が当城に入った。
天正二年(1574年)上杉謙信に攻められ討ち死にした。