畑谷城 (はたやじょう) (町の史跡)
所在地 山形県東村山郡山辺町畑谷40 2015.6.11
畑谷城 (はたやじょう) (町の史跡)
所在地 山形県東村山郡山辺町畑谷40 2015.6.11
登城ルート
入口・竪空堀
城跡碑
東側コの字空堀・土塁
主郭虎口
主郭跡
主郭西の2重空堀
北西尾根の 3重堀切
北西2番目の堀切
北西3番目の堀切
江口光清公墓・顕彰碑
畑谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【案内・感想】 表記番地の民家で管理され、鳥瞰図、説明板が建てられ駐車場が用意され、草刈などボランティアで行っているとのことであった[マップコード273 608 210*32]。
北に「首洗池」があり、そこより東に「江口光清公の墓」が江口公ゆかりの子孫により新しく建てられている(地図)。
北に登ると、竪空堀があり、登り口に「畑谷城跡」の石碑が建てられている(地図)。その東にコの字形の大規模な空堀・土塁・竪堀が保存されている(東部大空堀)。居館跡と考えられ 土塁との高低差は5m以上である。
登り口より大手道を登ると、帯曲輪が2段ほど残り、大手虎口がある。標高549m(比高約70m)の館山頂上の主郭には「畑谷合戦四百年碑」、「江口光清公之碑」が建てられている。北東に搦め手虎口がある。
主郭西側に帯曲輪が二段ありその下に2重空堀がよく残っている。その西150mに3重空堀が残っている。一番手前は少し埋まっているが、2、3番目の空堀は深く良く残っている。山辺町の史跡に指定されている。
【歴史】 山形最上氏は、置賜、下長井に通じる要衝の地・畑谷に家臣江口氏を配置して、伊達氏、上杉氏領置賜との境を守らせた。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いにあたり慶長出羽合戦が起き、上杉家直江山城守兼続は、主力軍約2万を率いて、荒砥から進撃し、山形城を目指して途中の畑谷城に迫った。
九月十三日江口道連(光清)は手勢を指揮して迎え撃ったが約二刻の戦いで敗れて、自刃し落城した。500人の家来が討ち取られた。