塚越城 (つかごしじょう) (西光寺城)
所在地 埼玉県坂戸市塚越567 2023.8.26
塚越城 (つかごしじょう) (西光寺城)
所在地 埼玉県坂戸市塚越567 2023.8.26
西光寺
東側の空堀と供養塔群
北東の郭・空堀(北側)
北東の郭・空堀(西側)
勝呂頼阿の宝篋印塔
塚越城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 坂戸市塚越の微高地にある西光寺一帯が城跡とされ、北東の竹林の中に郭跡やⅬ字形に空堀が残っている。通路を挟んで東側にも堀跡があり、供養塔群がある。
【案内】 西光寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード14 186 232*06]。
西光寺一帯が塚越城跡と云われ、本堂裏の歴代住職の墓の所に勝頼阿の宝篋印塔が祀られている。墓には貞治五年(1366年)の元号と「勝(すぐろ)次郎左衛門入道頼阿(らいあ)」の銘が刻まれている(崩れていて読めなかった)。
【歴史】 平安時代末期から鎌倉時代にかけて当地を本拠とした武蔵七党の一つ村山党山口氏の一族・勝(すぐろ)氏によって築かれたと思われる。南北朝時代の城主には勝頼阿の名が残る。
戦国時代には上杉氏に仕えた小島豊後が城主と云われ、小島豊後は屋敷内に庵を建て西光庵とした。その子・小島越後によって天文年間(1532~55年)に庵が再興され、小島氏は帰農し境内を寄付し西光寺開基となったという。