佐貫城 (さぬきじょう)
最寄地 千葉県富津市佐貫1214−2 2015.4.3
佐貫城 (さぬきじょう)
最寄地 千葉県富津市佐貫1214−2 2015.4.3
説明板
説明板・登り口
三の丸
二の丸
本丸空堀
本丸
展望台(奥)
佐貫城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高35m】
【案内・感想】 県道163号線の商店(表記番地)の西に登り口があり、説明板が建てられている[マップコード49 032 237*72](地図) 。
登ると三の丸の広い平坦地がある。その先に二の丸、巾の広い空堀、虎口を経て広い本丸がある。比高約35mの本丸の西に登ると展望台がある。遊歩道が整備され歩きやすい。
【歴史】 佐貫城(亀城)は室町時代、文安年間(1444~49年)に長尾氏、応永年間(1394~1428年)に武田氏の築城説があり、その後里見氏、武田氏、朝倉氏、加藤氏、大河内氏が城主となったと云われている。
天正年間(1573~92年)内藤家長、同政長が城主となり、元和年間(1615~24年)松平忠重が城主となり、寛永寛文年間(1624~73年)松平勝隆、同重治が城主となった。
一時廃城となったが、元禄年間(1688~1704年)柳沢保明が城主となった。
再び廃城となった後、宝永七年(1710年)五月、阿部正鎮が三河刈屋城より移り、正嵩、正身が居城した。8代正恒の時、明治維新を迎え明治四年(1871年)五月、廃城となった。