元木山城 (もときやまじょう) (元木山柵・大笠館)
所在地 東京都町田市能ヶ谷2-17 2016.1.27
元木山城 (もときやまじょう) (元木山柵・大笠館)
所在地 東京都町田市能ヶ谷2-17 2016.1.27
南側土塁
館跡碑・ 神ノ倉龍蔵之碑
瑞香殿
西側土塁
元木山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 小田急小田原線「鶴川駅」の北約100mに位置する香山園(表記番地:美術館併日本庭園)となっている。都道3号線(鶴川街道)の北、入口は南側で駐車場も用意されているが、現在閉館中である。
入り口の先に、「武州元木山柵大笠館跡」と「古代熊野之豪族・神ノ倉龍蔵之碑」と刻まれた石碑が建てられている。
南側土塁上に「香山・神蔵宗家」の石碑があり、西側 にも土塁が残っている。瑞香殿が建ち、東側に塀に囲まれた日本庭園がある。
【歴史】 神蔵氏第24代当主甚左衛門盛清は、大永五年(1525年)、越後国から来着、小田原の北条氏綱の許しを得て元木山柵(城)を造営した。盛清は浄土野森において扇谷上杉勢と戦い勝利を得、その功により永30貫文(24万坪)の地を後北条氏より賜った。
その後、当地を直ヶ谷(のうがや)と名付け、天文十三年(1544年)に柵内に瑞香殿を建立した。天正二年(1574年)能ヶ谷と改めた。
江戸時代になると瑞香殿は幕府によって焼かれたが、元禄六年(1693年)に建て替えられた。
現在の建物は明治三十九年(1906年)に建立されたものであるが、建物の一部に元禄時代の柱、棟札、大戸が残されている。
建築面積136坪、木造書院造、寄棟千鳥唐破風玄関付で、室内は床の間、違い棚、付書院、格天井等の造作が施されている。
戦国時代の遺構は残らないが、明治時代に子孫により瑞香殿と池泉回遊式日本庭園は守られ、香山園(かごやまえん)として一般公開されていたが、平成二十七年(2015年)3月末日に閉館した。
なお、2019年までに町田市が買い取り、再び一般公開する予定があるという。『ウイキペディア』より。