権田城 (ごんだじょう) (市の史跡)
最寄地 群馬県高崎市倉渕町権田3327 2021.1.21
権田城 (ごんだじょう) (市の史跡)
最寄地 群馬県高崎市倉渕町権田3327 2021.1.21
登城ルート(緑線は車道)
主郭・説明板
北側空堀
説明板
南側の浅い空堀・2郭
南東の空堀
権田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 烏川に向けて南西に伸びた台地先端に築かれている。主郭はビニールハウスの畑となり土塁が見られ、南西の畑となった2郭との間に空堀があり、南東と北側に空堀がよく残っている。
【案内】 国道406号線より北に行った表記番地前より左折する[マップコード295 108 261*87]。そこからカーナビに道は表示されないが約100m進んだ右側に駐車スペースがある(地図)。
大きく左に住宅地の間を約100m歩くと城跡に至り、説明板と標柱が建てられている。
主郭北側にⅬ字となった土塁があり、北側に空堀が残っている。
南西下段に2郭があり、その間に浅い堀跡が見られ、南東に一部通路となっているが空堀、土塁が見られる。
昭和57年(1982年)4月1日、高崎市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は不明だが、権田淡路守の居城と云われ、箕輪城の長野氏に属していた。その後大戸氏の持城となった。
永禄七年(1564年)真田幸隆が岩櫃城を攻めた際、大戸城主大戸真楽斎と舎弟の権田城主大戸但馬守重勝は幸隆に降伏し人質を出したという。
永禄九年(1566年)長野氏が武田信玄に滅ぼされると、大戸氏は武田氏に従った。
城跡の南方には抱え刀工権田政重の屋敷跡がある。