谷田部藩陣屋 (やたべはんじんや)
所在地 茨城県つくば市谷田部2938 2015.2.21
谷田部藩陣屋 (やたべはんじんや)
所在地 茨城県つくば市谷田部2938 2015.2.21
説明案内板
谷田部小学校・説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 谷田部小学校(表記番地)正門の横に説明板(地図)が建てられている。また忠魂碑が建てられている。遺構は消滅している。
【歴史】 谷田部藩は、肥後熊本藩(細川氏・54万石)の分家である。初代藩主興元は、慶長十五年(1610年)、下野国芳賀郡に1万石を賜り、茂木に居を定めた。
元和元年(1615年)、大阪夏の陣に参陣し、戦功をあげたことにより、翌年常陸国筑波郡・河内郡内に6200石を加増され、総石高は1万6200石となった。その後、藩庁を茂木から谷田部に移し、谷田部藩が成立した。
その後2代興昌・3代興隆・4代興栄・5代興虎・6代興晴・7代興徳・8代興建と続き、9代興貫の時明治維新を迎えた。
明治初期の図面によると、陣屋の敷地面積約6800坪(22,440㎡)で、北と東に堀を巡らし、内部に役所・藩主住居・文館・武館・馬場等があった。
天保十五年(1844年)陣屋は火災によって焼失したが、その後再建された。幕末のころ、谷田部藩は財政危機に陥り、二宮尊徳の仕法により藩政改革を行った。
明治四年(1871年)の廃藩置県後、陣屋は小学校舎や筑波郡役所として利用されたが、郡役所の廃止後は谷田部小学校として現在に至っている。『つくば市教育委員会説明板』より。