柳田館 (やなぎだたて) (片寄城・今崎城・中野館・吉兵衛館)
最寄地 岩手県紫波郡紫波町片寄鶉森56 2017.4.23 2017.7.9
柳田館 (やなぎだたて) (片寄城・今崎城・中野館・吉兵衛館)
最寄地 岩手県紫波郡紫波町片寄鶉森56 2017.4.23 2017.7.9
登城ルート(緑線は車道)
林道入口・館跡標柱
沢の土橋を進む
北館南の横堀
北館北斜面
頂上の 北館跡・土塁
南館の西側土塁
柳田館 北郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 現地標識は見当たらず、鬱蒼とした杉林の中を推測しての探査となった。北館の山頂に土塁がよく残り、周囲は急な崖となっている。
【案内】 県道13号線より西に400mほど行った表記番地手前の林道入口に「柳田館遺跡・片寄城跡」の標柱が建てられている[マップコード81 103 036*63](地図)。
東北自動車道を潜って林道を350mほど行くと、右側に土橋があり駐車スペースがある[マップコード81 102 015*17]。
斜め右の方向へ歩いてゆくと屋敷跡の土塁が残り、さらに行くと小高い比高15mほどの小山があり南麓に空堀が残っている。直登すると南に土塁が残った北館がある。20m四方ほどの広さがある。
南館は駐車した土橋付近より林道を挟んで南に、約50m四方の平地で西から南にかけて土塁、浅い空堀が残る。南東に桝形虎口のような掘削部がある。
東北自動車道建設に伴ない東館の大部分と北館・南館の一部が消滅し、事前発掘調査は1975年と翌年の二次にわたり実施された。町指定史跡となっている。
【歴史】 斯波郡主斯波氏の戦国武士片寄氏の本拠地とされる(「志和軍戦記」)。
天正十六年(1588年)斯波氏の滅亡ののち、中野康実が南部信直より片寄3000石を賜わり、片寄修理と称した(「奥南旧指録」ほか)。
天正二十年(1592年)の諸城破却書上には、「糠部郡之内 片寄 山城 中野 修理 持分」と記されている。
慶長十七年(1612年)片寄修理康実の子、正康の代に至って郡山城に移っている。『ウイキペディア』より。