新山城 (しんざんじょう) (標葉城) (町の史跡)
所在地 福島県双葉郡双葉町新山東舘 2023.9.23
新山城 (しんざんじょう) (標葉城) (町の史跡)
所在地 福島県双葉郡双葉町新山東舘 2023.9.23
登城ルート
本城への車道入口・説明板
本城・新山神社
本城南の最高所
本城東側下段の神社
東館の登り口
西側2郭(薮)
東館主郭
東館主郭南側・土塁
西館の標柱
西館の2段目・主郭切岸と浅い堀切
西舘主郭
新山城 本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 JR常磐線「双葉駅」南側の丘陵に東西2つに分かれて本城、東館が築かれている。
本城は新山神社境内で遺構は少ないが、東館はⅬ字形の土塁がよく残っている。
一方、北西に離れた西館は5段ほどの段が見られるが、2011年の震災以降、放置され鬱蒼としている。2020年立入制限が解除されたばかりで手が回らないと思われる。
【案内】 JR常磐線「双葉駅」東側の「せんだん通り」を南に約360m行くと、左側に新山神社への舗装道があり、入り口に説明板が建てられている[マップコード260 405 629*87](地図)。
本城跡には真新しい新山神社が建てられ、南側に一段高い平坦地がある。北東下段には古い神社が建てられている。
東館へは双葉中学校(双葉町新山東舘1)前の道を少し北に行った所に草に隠れている階段がある[マップコード260 405 561*27](地図)。
階段を折り返して登ってゆくと、鬱蒼とした平坦地があり横断して階段を登ってゆくと主郭虎口に着く。主郭は南北に細長く南側が2段になって高くなり、西から南にかけてⅬ字形の土塁がよく残っている(地図)。
西館へは北側の川に沿った道を西に行くと、「西館跡」の標柱が建てられている[マップコード260 405 870*08](地図)。
標柱の10m程東から斜めに登ってゆくと、5段目の郭に着く。そこから4段、3段と段郭があり、細長い2郭の南に浅い堀切と主郭の段がある(地図)。西館は放置されて全体に鬱蒼としている。
【歴史】 標葉(しねは) 成衡の四男隆義は、保元年間(1156~59年)標葉の一部を分領し請戸館に移った。
8代隆義の嫡流持隆の三男・標葉平四郎隆連は父の命により新山城に移り初代城主となった。以後隆重、隆豊の居城となった。
南北朝時代、標葉持隆は北畠顕家に従い、西上転戦した。隆連の兄盛隆の長子清隆は、嘉吉元年(1441年)請戸館から本城の館(浪江)へ、更に権現堂城に移った。
2代隆重の時、嫡家清隆に攻められ岩城に逃れた。
明応元年(1492年)冬、権現堂城における相馬盛胤との戦いに敗れ、標葉氏は滅亡した。以後標葉領は相馬氏の領地となった。『現地説明板より』