小弓城 (おゆみじょう) (南生実城) (みなみおゆみじょう)
最寄地 千葉県千葉市中央区南生実町590‐1 2015.4.3
小弓城 (おゆみじょう) (南生実城) (みなみおゆみじょう)
最寄地 千葉県千葉市中央区南生実町590‐1 2015.4.3
説明板
登り口の坂虎口
主郭・畑・竹林
小弓古城址碑・説明板
小弓城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「介護老人保健施設純恵の郷」(表記番地)駐車場を寸借[マップコード27 183 130*68]、付近に駐車場はない。市道を北に30m行き右折、東に100m行くと登り口がある(地図) 。
畑の間を南に行くと広照寺の墓地があり小弓古城址碑・説明板が建てられている。南、西、北は崖となり、東の舗装道に空堀があった。畑の西から墓地の西に土塁状の高まりがある。
【歴史】 千葉城(亥鼻城)築城の頃に上総への守りとして、千葉氏により築城され、原氏に守らせた。
永正六年(1509年)連歌師柴屋軒宋長(さいおくけんそうちょう)は、城主原胤高に招かれ、小弓館で猿楽や連歌に興じたことを、その旅日記「東路の津登」に記している。
永正十五年(1518年)十月十五日、真里谷城(木更津市)の武田恕鑑は古河公方高基の弟足利義明を奉じて胤高の守る小弓城を落した。
ここを本拠にした義明は「小弓御所」とも「小弓公方」とも呼ばれるようになり、里見氏の支援を受け、後北条方の千葉・原氏と争った。
天文七年(1538年)国府台の戦いで義明は敗死し、再び原氏が入城したが、北西1.5㎞に新たに北小弓城を築き、本拠を移した。『千葉市教育委員会説明板』より。