関城 (せきじょう) (国の史跡)
所在地 茨城県筑西市関舘1 2013.11.2
関城 (せきじょう) (国の史跡)
所在地 茨城県筑西市関舘1 2013.11.2
城跡碑・関父子の墓
説明板
関宗祐の墓
東側土塁
西側土塁
案内図
八幡神社
関城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「大宝八幡宮」の北2.4㎞に位置し、関城通りの両側に曲輪があった。また、土塁が西側(地図)、東側(地図)の2ヶ所で確認できる。
又、「関城址」の石碑、説明看板が道路に面して建てられ、奥に関宗佑・宗政父子の墓がある[マップコード123 491 541*23](地図)。城跡の北東に八幡神社(表記番地)が建っている。
昭和九年(1934年)5月1日、国の史跡に指定された。
【歴史】 関城は南北朝時代に小田城などとともに南朝の拠点であった。関城と運命を共にして戦死した城主関宗佑、宗政父子の墓や北朝方の武将で関城攻撃に際し戦死した結城直朝の墓がある。
南朝興国二年(1341年)小田城から移った北畠親房が同4年城の陥落前まで留まり、小田城で執筆した「神皇正統記」に加筆し完成したことでも有名である。