根古屋城 (ねごやじょう) (町の史跡)
最寄地 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬674 2013.11.18 2014.3.26
根古屋城 (ねごやじょう) (町の史跡)
最寄地 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬674 2013.11.18 2014.3.26
登城ルート(緑線は車道)
西口登り口標識・案内板
西の郭・御殿跡切岸
御殿跡
東の郭
2郭
山頂の郭・主郭
根古屋城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【案内・感想】 秩父札所8番西善寺の南方、西武秩父線のトンネルの上にある。変電所前に駐車スペースがあり[マップコード150 193 530*68]、民家の前を抜けて登り口がある(地図)。
登って行くと、「西の郭」に出る(地図)。「搦手」虎口付近に土塁、その手前の下に帯曲輪が確認できる。「西の郭」の南が御殿跡である。
御殿跡の南より、東に下り谷を挟んで登ると「東郭」(真下に配水池がある)がある。そこから「水の手郭」上を経て比高約30mを登ると「山頂の郭」の二の郭があり更に20mほど登ると比高約80mの主郭に着く。 主郭の南側は石灰岩の採掘で消滅し、狭い一部分が残り、そこから西に武甲山が望める。
昭和四十八年(1973年)1月31日、横瀬町の史跡に指定された。
【歴史】 平安時代に桓武平氏の秩父別当武光が築き、同十郎武綱、同重綱、同重弘、同重能まで五代にわたり居住していたとの説がある。
重能は男衾郡畠山に移り、その子畠山重忠は武蔵武士を代表する武士として知られ菅谷城を築いた。
中世になると武蔵七党の丹党中村一族の中村時綱・時久父子が地名の横瀬氏を名乗り根古谷城に拠ったと云われている。
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によれば、北条氏直の家臣・渡辺監物、浅見伊賀守が在城したという。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に際し、鉢形城落城と共に開城し、その後廃城となった。本城の南には上杉氏の家臣永田外記の居城と伝えられる古御嶽城がある。