永田城 (ながたじょう)
所在地 埼玉県秩父市寺尾3600 2024.6.9
永田城 (ながたじょう)
所在地 埼玉県秩父市寺尾3600 2024.6.9
登城ルート(緑線は車道)
北側の土橋
南西の土塁・空堀(奥は菖蒲田)
寺伝(2行目に永田城跡の記述)
仁王門
仁王像(右側の阿像)
童子堂
東の墓地・奥に本堂
永田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 東西約250m南北約100mの広い台地にあり、永福寺境内となっている。北側は沢が流れ、南西側の台地基部に空堀と土塁がよく残っている。
仁王門には童子の顔の仁王像があり、あのいかめしい仁王も童子の頃はこうだったのかと興味深い。
【案内】 県道72号線に大きな「童子堂・永福寺・二十二番入口」の石碑があり[マップコード150 308 506*14]、土橋を渡ると左に永福寺(表記番地) の駐車場が用意されている。
童子堂は元禄14年(1701年)の建立で、荒川西岸の丘陵地、長尾根の山中の「府坂峠」に栄福寺の観音堂としてあった。それが明治43年(1910年)に永田城跡の現在地に移されたものである。
駐車場から南西の墓地やソーラーパネル先に、長さ約90mの空堀があり境内側に土塁が見られる(地図)。
【歴史】 『秩父風土記』によると、永田林四郎が居住したという。また天正年間(1573~92年)頃には諏訪七左衛門が居城としたといわれる。