初沢城 (はつざわじょう) (高乗寺城・椚田城) (くぬぎだじょう) (都の史跡)
最寄地 東京都八王子市狭間町1994 2013.12.1 2022.10.2
初沢城 (はつざわじょう) (高乗寺城・椚田城) (くぬぎだじょう) (都の史跡)
最寄地 東京都八王子市狭間町1994 2013.12.1 2022.10.2
登城ルート
登り口
配水タンク・二の丸標識
堀切・土橋
腰郭・虎口
本曲輪・城跡標柱
初沢城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m 】
【案内・感想】 町田街道「紅葉台東」交差点から登って行った紅葉台団地の北側道路脇に登り口がある[マップコード23 168 599*36](地図)。初沢山へのハイキングコースとなっている。
「東京都水道局初沢配水所」の配水タンクが二の曲輪に設置されており、その先の分岐を右(タンクの裏)へ登って折り返すと、尾根道に堀切が見られる。
その北に南北に細長い本曲輪があり、北端に城跡標柱が建てられている。
西側に虎口と狭い腰郭が残っている。
【歴史】 鎌倉時代に片倉城に在城していた高乗寺開祖の長井氏によって築城されたとも伝わるが、諸説ある。
「新編武蔵風土記稿」によれば、鎌倉幕府初期の御家人で、武蔵七党の横山党の一族・椚田氏の居城と推定される。
横山党が建暦三年(1213年)の和田合戦で滅亡すると、鎌倉幕府初期の重臣・大江広元を祖先に持つ長井氏は、この地を与えられた。
長井氏は扇谷上杉氏の傘下となり、永正元年(1504年)、扇谷上杉軍が山内上杉軍を破った立河原の戦いの際、落城した扇谷上杉方の椚田(くぬぎだ)塁に比定される。
後北条氏時代、八王子城の出城となり、天正十八年(1590年)豊富秀吉方による八王子城攻めの際、八王子城と共に落城し、廃城となった。