一戸城 (いちのへじょう)
最寄地 岩手県二戸郡一戸町一戸字北舘130-1 2014.8.14 2017.4.24
一戸城 (いちのへじょう)
最寄地 岩手県二戸郡一戸町一戸字北舘130-1 2014.8.14 2017.4.24
登城ルート(緑線は車道)
北館の一戸公園・四阿
一戸公園・慰霊碑
八幡館北館間
八幡館東堀道
八幡館
一戸城 北館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 馬淵川の右岸の舌状の河岸段丘に築かれており、南北に5つの郭から構成されている。
八幡館が主郭と思われ、畑として利用され、西側台地基部に空堀が残り、狭い道路となっている。
【案内】 国道4号線のガソリンスタンド(表記番地)向かい側に、北館(主郭)が一戸公園として整備されている[マップコード209 157 781*30]。
滑り台、ブランコがあり四阿が建てられ、国道4号線側に「北舘配水池」タンクがある。
南側に道路(空堀)で隔てて4つの郭跡(八幡館・神明館・常念館・無名郭)が高台にあり、民家敷地や畑となっている。
【歴史】 一戸南部氏の居城で、築城は一戸南部氏の二代南部義実によって、室町期の建長年間(1249~56年)とみられる。
天正九年(1581年)、城主一戸兵部大輔政連父子は実弟の平館(一戸)政包により殺害されて一戸氏の嫡流が滅亡し、一戸城には九戸政実の腹心一戸図書が入ったが、南部信直は一戸城を攻め落として、北主馬秀愛を城主として配した。
天正十九年(1591年)九戸政実の乱では籠城して九戸氏側の夜襲に耐え、乱の後は石井信助が城代となったが、翌天正二十年(1592年)「諸城破却書上」には「糠部郡之内 一戸 平城 破 信直抱 代官 石井新助」とあり、破却された。
昭和五十四年(1976年)以降、北館、八幡館、無名郭などが発掘調査されている。
『二戸市史』第一巻には、九戸の乱の九戸勢武者に「一戸図書・一戸太郎左衛門・一戸毘沙門堂別当西法寺」の名が記されている。