恩地要害 (おんちようがい) (恩地城)
最寄地 栃木県大田原市北野上1637 2022.12.18
恩地要害 (おんちようがい) (恩地城)
最寄地 栃木県大田原市北野上1637 2022.12.18
登城ルート
観光栗園左の林道を進む
建物左の林道を登る
堀切
主郭南の土塁
中央部平坦地
北端の切岸状崖
恩地要害跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高45m】
【感想】 野上川に向けて南から伸びた標高約267mの尾根先端部に築かれている。
南側尾根に堀切とそれに続く竪堀がよく残っており、主郭南側に土塁が見られる。
主郭中央部はだらだらと北に向けてやや傾斜した広い平坦地で、150m程北端に道があり切岸状地形が見られる程度であった。
【案内】 国道461号線より表記番地東を通って南に行き野上川の橋を渡って、観光栗園前の路肩に駐車した[マップコード529 708 467*22]。
約150m南の林道分岐(地図)を左へ入り、別荘建物横を登ってゆくと堀切、竪堀に着く。その北側が城跡で、堀切側に土塁が残っている。
【歴史】 城主は大関氏の家臣益子但馬守信勝と伝えられる。
天正年間(1573~92年)宇都宮氏の重臣益子氏の一族・但馬守信勝は、益子を逃れて大関氏の家臣となり、当地を与えられ恩地要害を築いたと云われる。