根古屋城 (ねごやじょう) (竜谷城・勝楽寺城) (県の史跡)
最寄地 埼玉県所沢市勝楽寺438 2014.3.21
根古屋城 (ねごやじょう) (竜谷城・勝楽寺城) (県の史跡)
最寄地 埼玉県所沢市勝楽寺438 2014.3.21
東京都水道局6号扉
下り口
狭山湖北岸中央の山(ダム堤防より望む)
根古屋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 狭山湖の北岸道路のフェンスの「山口北6号扉」が入口である[マップコード5 394 363*52](地図)。
郭・土塁・空堀などの遺構が、ほぼ完全な姿で保存されているらしいが、この土地は現在、東京都水道局の敷地となっており、立ち入りは制限されており、管理事務所の許可を得る必要がある。早稲田大学所沢キャンパスの南の最高所山の南面にある。
昭和十七年(1942年)3月31日、埼玉県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、山口高治の子、高忠によって築城された。父である山口高治は祖父・山口高実らとともに、永徳三年(1383年)南朝の協力の下で上杉氏と戦ったが敗れ、山口城に火を放ち自害した。
その後、上杉氏家臣の守護代大石氏に仕えた高忠によって山口城は室町時代末期に修復されたが、山口城はもともと館であったため、山口城とは別に根古屋城を築城し、山口城の城郭として機能させていたようだ。
高忠から五代目の山口高種の時、北条氏康の攻撃により根古屋城が落城し、山口氏は後北条氏の家臣となった。