松山城 (まつやまじょう)
最寄地 群馬県高崎市下室田町3693−5 2018.1.3
松山城 (まつやまじょう)
最寄地 群馬県高崎市下室田町3693−5 2018.1.3
城跡標柱・説明板
空堀・2郭(奥が主郭)
主郭切岸
主郭の金比羅神社
主郭背後の郭
松山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 金比羅神社の建つ主郭と南東に一段下がった2郭から構成され、南側下段に広い腰郭があり、南東側に堀切が残っている。主郭北の下段にも郭が残っている。8年間と短命に終わった城である。
【案内】 県道29号線より北に行くと、表記番地横に金比羅神社参道がある[マップコード94 481 078*85]。周辺の道路は狭く、駐車スペースは少ない。東側には抜けられない。
参道の途中に城跡標柱と説明板が建てられている。
【歴史】 天正十年(1582年)、北条氏直は織田信長の重臣・滝川一益を神流川の合戦で破り、西上州へ進出した。松山城は、この時吾妻方面攻略の拠点として北条氏直の家臣・上田安礫斎信義の子信善に命じて築かせた。城の名は、上田氏の本城に因んで、松山城と呼ばれるようになった。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、東山道支隊上杉・前田連合軍の前に無血開城した。