真田城 (さなだじょう)
所在地 神奈川県平塚市真田1-14-1 2015.1.16
真田城 (さなだじょう)
所在地 神奈川県平塚市真田1-14-1 2015.1.16
天徳寺
堀跡
天徳寺内真田尊
力石・説明板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道612号線東に面した「天徳寺」(表記番地)に駐車場が用意されている[マップコード15 424 106*87] 。
徳寺境内の南西石垣台地に真田尊の社殿があり、その横に力石が置かれ、「真田城址と天徳寺の由来」の説明板が建てられている(地図)。その南に堀跡が道路となっている。
【歴史】 三浦義継の4男で岡崎城主岡崎四郎義実の嫡子・真田與一義忠の居城であった。
治承四年(1180年)八月二十三日夜、源頼朝の伊豆挙兵の際、石橋山にて俣野五郎の家臣長尾新五・新六のために討ち死にした(享年25歳)。
一説に義忠はこのとき、痰が喉につまり討たれたことにより、真田明神としてあがめられている。
後、天正年間(1573~92年)岐阜天徳寺七世義翁盛訓禅師が義忠の菩提を弔うため天徳寺を造立した。『現地説明板』より。