原子城 (はらこじょう) (原子館)
最寄地 青森県五所川原市原子山元156 2016.6.7 2017.7.9
原子城 (はらこじょう) (原子館)
最寄地 青森県五所川原市原子山元156 2016.6.7 2017.7.9
八幡宮
八幡宮
国道下トンネル
2郭南空堀
西側空堀
土塁
原子城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 主郭は八幡宮一帯とされ、その西の林檎園も曲輪と思われる。遺構は少ないが、西側200mほどの所に空堀の一部が残っている。
【案内】 国道101号線の表記番地西に八幡宮参道入口があり社殿前まで車で行ける[マップコード71 648 684*04]。
また国道101号線潜った西側道路の100m北付近に駐車し、右に登ると、空堀がある[マップコード71 678 015*03]。空堀を伝って北に行くと曲輪があり林檎園となっている。林檎園の東が八幡宮である。
【歴史】 原子城は、居住に向いた地であったため、古代、蝦夷館があった。その後、館跡を利用したものが原子城である。
戦国時代、肥後の名族菊池氏の流れを汲むといわれる原子氏が居城とした。元亀年間(1570~72年)から天正年間(1573~92年)の城主は浪岡四天王の一人、原子平内兵衛で浪岡北西を守った。なお、平内兵衛の名は「津軽封内城址考」によると襲名で、同一人物ではないという。
その後、天正六年(1578年)、大浦為信の浪岡城攻撃の際、落城したものと思われる。平内兵衛はその後南部へ逐電した、もしくは出羽土崎に逃れたといわれる。
平内兵衛は、その後吉町弥右衛門の陰謀を津軽為信に密告し、家臣になったという。また、原子城はその後廃城になったものと思われる。